1999年

1999年、気づけばそれはもう20年前のことになっていた。
私の中ではまだ手が届く年月なのに、この歳に生まれた子はもう二十歳…

何故1999年を語るのか、私にとってこの年はいろんなことがあったなとふと思い出したからだ。
もちろん、他の年でもいろんなことがあった年はあったのだけど、1999年と言えば私にとって新しいものとの出会いが多かった。そして「あぁ、あれはあの年だったな」と思うことが他の年よりも多い。
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まず年が明けて数日のこと、私は初めてインフルエンザというものにかかった。
子供の頃の私は体が弱く、特に扁桃腺が弱かったのでしょっちゅう風邪を引いては高熱を出していたが、インフルエンザにかかったことはなかった。だから1999年のインフルエンザは私にとって初のインフルエンザだった。高熱でフラフラになったがそれも3,4日のこと、あとは元気。となると暇なのだ。そこで始めたのがバイオハザード2。バイオは旦那が前年のクリスマスプレゼントに欲しいと言うのでプレステとともに買ってあげたゲームソフトだった。(写真のソフトはGAMECUBE用、プレステ用のあと、こちらも買った)私は全く興味がなかったが、旦那が楽しそうにやっているのを見ていたので、どんなものかなと手をつけてみた。以来、私の方がはまってしまい、その2年前に出た第一弾、そして続編のシリーズ全て制覇した。(オンラインメインになってからのはやってない)
会社でもバイオ好きは多かったが私は誰にも負けない自信があるほどはまった。謎解きがたくさん出てくるのだが、どのシリーズのどの謎解きを聞かれても答えられる私は、一時バイオ博士と呼ばれていた(笑)
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ゲームの合間にテレビを見ていると話題は「宇多田ヒカル」という少女のことばかりであることに気づいた。宇多田ヒカルは1998年年末にデビューし、1999年の正月明けの話題は彼女で持ちきりだった。私も彼女の「Automatic」を聴いた時は衝撃だった。これを16歳の子が書いたのか?と。そしてもっと衝撃だったのは彼女が藤圭子の娘だったということ。会社で仲のいい同僚に電話して「なぁなぁ知ってるか?宇多田ヒカルって藤圭子の娘なんやって」と言うと「知ってるわ、そんなこと。それよりおまえもう治ってるのにいつまでサボってるねん」と言われ仕方なく翌日から仕事に出ることにしたのだった。
そこから宇多田ヒカルが好きになり、これまで彼女が出したほぼ全てのアルバムを持っている。でも最近の歌よりはデビューした頃の歌の方が好きかな。
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そしてインフルエンザもすっかり治った3月、私は初めて自分用デジカメを買った。FUJIFILM FinePix2700。カメラと言えば横型の概念を覆した縦型のカメラ。一番流行ったのはこの形の初代700というものだったが、私が買ったのは2700というモデルからで、ここから4800Z、6800Z、M603、F601…と5、6代買った。あのシリーズから離れてしまったのはマクロボタンがボタン操作を何度かしないと出て来なくなってからだ。マクロを使うことが多かった私には使いづらいカメラとなってしまったのだった。
何故マクロをよく使っていたかというと…
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この年の8月から私はホームページ(以後HP)というものを作るようになったからだった。その遍歴も先日詳しく調べたのでまたお話しますが…(え?いらないって?)
それまで私は人のHPに自分の詩や小説を載せてもらっていた。でもその人がHPを辞めることになり、私は奮起して自分のHPを作ることにした。メモ帳でhtmlを自分で書いて作っていたがとても私の技術では追いつかずホームページビルダーで作り始めた。その後HPで知り合った人たちに教わりながらcssjava、BBSの作り方を覚えた。
初めて作ったHPはYUKA's FACTORY。私の作った工場(笑)そこで詩や小説、そして自分の描いた絵を載せていた。(当時のHPはindexページを残していなかったので次に作ったHPのindexを載せました)
そのうち詩につける写真を撮り始め、あの写真を使いたいという要望が増えたため、2年後には写真の素材を配布する素材屋さんというものを始めるように。素材にする写真は風景写真、花や小物の写真などがメインだったためマクロが必要。だからマクロボタンが奥深くなると面倒だったのでFUJIのカメラとさよならしたのだった。
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デジカメの話に戻るが、初めて買ったデジカメで初めて撮った写真は何だったのだろう…と思い私は古いデータを出してみた。なんと、初写真、ナンバーDSCF0001は私が卒業した忌まわしき高校の校庭だった。(写真は現物。230万画素を物語ってるでしょ?この写真を含めここから最後までFinePix2700で撮った写真を出しています)
2009年、写真のネタ集めのために学校の写真を撮らせてもらった。それが高校を卒業して初めて行った母校だと思っていたが、実は1999年に行っていたのだった。知らなかった…というか覚えていなかった(笑)
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1999年11月、克己から電話がかかってきた。
「なぁ、知ってる?来年俺たち出会って15年だって」
記念日大好きな克己はそれをネタに久々にデートしようと言い出した。それまでも月に1回は電話したり会ったりしていたのに、デート?と思ったら新しく車を買ったからドライブしたかったらしい(笑)
ドライブのネタは神戸、大阪、京都を巡る三都物語。車の中で私は最近HPと言うものを作ったこと、それに載せるための写真を撮る用のカメラを買ったこと、などを話した。神戸に着いて早速写真を撮ろうと電源を入れたら「カードが入っていません」という悲しいメッセージが。今ならコンビニにでもSDカードくらい売っているが20年前は電化製品を売ってる店にしかなかったため、長い距離を歩かせてSDカードを手に入れた。やっと写真を撮れるようになったと思ったら今度は天気が悪くなった。克己は「太陽が出るまでしばらく待とう」そう言って1時間も待ってくれた。
そうやって神戸はハーバーランド、大阪は南港、京都は将軍塚を回り三都物語は完成した。
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そして年末、最初で最後のルミナリエを見に行く。最後かどうかはまだ分からないけど、多分最後だ。
あまりの人の多さに気分が悪くなり、このブレブレの写真を1枚撮っただけで、すぐに人が少ない道を通って帰ったくらいだから(笑)

その数日後の大晦日、会社に泊まり込みとなった。そう覚えているだろうか、2000年問題だ。
当時私は会社のシステム担当だった。パソコン導入をしたりマクロを書いてちょっとしたシステムを作ったりしていた。今ほど全てがデジタル化していなかったが、ある程度の導入はしていたので、万一業務がストップするようなことがあればまずいとのことで、年末年始は泊まり込みでパソコンとシステムの番をした。
結局誤作動でミサイルが飛んでくることもなければ、システムが狂うこともなかったのだが。
あの時、ぼんやりしながらパソコンを見つめ、思い出したことがあった。小学生の頃に読んだ「ノストラダムスの大予言」の話。内容は1999年に大魔王が降りてきて地球は終わるというものだった。ノストラダムスはあれを書いた時、この2000年問題を提起したかったのかな?とふと思った。小学生の私はあれを読んで「1999年かぁ、もうその時には私は30歳だな。もうどうでもいい歳になってるな。あ、でもまだ子供も小さいし、大魔王が来たらやっぱり困るかな」と思っていた。しかし1999年が終わる頃、大魔王が来ることもなければ、私には子供もいないので何の心配もいらなかった(笑)

これが20年前、1999年の出来事。もちろんこれだけじゃなくて他にもいろんなことがあったけど紙面の関係上(紙面じゃないか)この辺りで!